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世界あちこち見聞録 世界の7不思議Ver.

ゴールデンウイークも終わりましたね。今年はマスク緩和にもなり外国人旅行者の増加が始まりましたが、日本人の海外旅行者も昨年よりかなり増加したと報告がありました。
(株)エマール広報担当 MADAM Hです。皆さん、お休み中はどこかへ出かけましたか?
機会があればぜひ行ってみたい名所旧跡の中でも世界の7不思議と呼ばれるものがあります。

世界の七不思議は、紀元前2世紀に古代ギリシャの発明家で数学者、著作家でもあるフィロン(紀元前260年~紀元前180年)という人物が書いた「世界七つの景観」の中で、古代の地中海地方に存在していた七つの巨大建造物を取り上げたことがはじまりとされています。

• ギザのピラミッド(エジプト):現存しており見学可能
• アレクサンドリアの大灯台(エジプト):海底の遺構を見学可能
• オリンピアのゼウス像(ギリシャ):収容されていたと思われるゼウス神殿を見学可能
• ロードス島の巨像(ギリシャ):消失しているがロードス島は人気の観光地
• エフェソスのアルテミス神殿(トルコ):原型をとどめていないが遺跡を見学可能
• ハリカルナッソスのマウソロス霊廟(トルコ):現在は廃墟になっているが見学可能
• バビロンの空中庭園(不明):場所や全貌が未だに謎に包まれている
この7不思議だとあまりなじみがない上、現存しているものはギザのピラミッドだけなので、今回は【新世界の7不思議】をご紹介します。

この新世界の7不思議とは、現存しているものです。
• 万里の長城(中国)
• タージ・マハル(インド)
• コロッセオ(イタリア)
• ペトラ遺跡(ヨルダン)
• コルコバードのキリスト像(ブラジル)
• マチュ・ピチュ(ペルー)
• チチェン・イッツァ(メキシコ)
あげればきりがない程諸説あるのですが、これはある一説です。

万里の長城
中国本土の北辺に建設された長大な城壁【万里の長城】は、新世界の7不思議の一つです。
遼東湾西岸の山海関から甘粛省の嘉峪関(かよくかん)に及ぶ、かつては「宇宙から唯一肉眼で確認できる人工建造物」とも呼ばれるほどでした。
万里の長城自体が建築されたのは紀元前にまで遡りますが、そこから崩壊と改築を繰り返して現在に至ります。
その為、色々な時代に改築された跡が残っています。春秋戦国時代の諸国が築いた城壁を利用して、秦の始皇帝が構築し、匈奴に対する防御線としたものです。
西は「嘉峪関」から東は「山海関」、更には遼寧省の北朝鮮国境まで延長されました。
1987年に中国で初めての世界遺産に登録されました。 かつてその長さは8851.8キロとされていましたが、2012年の調査で総延長は従来の2倍以上の21,196.18キロと発表されました。
日本列島の長さを約3000キロとすれば、なんとその7倍にもあたり、世界最長にして、最古の防御壁と言われています。
紀元前7世紀の春秋時代から明代まで、約2000年以上に亘り、造成を重ねてきました。
現存するものの大部分は、明代の建造で、総延長約6000キロです。現在の形の長城は秦の時代に、各国で作られていたものをつなぎ合わせた「秦の始皇帝」がその始まりで、その後、特に漢、明時代に堅固な城壁が作られました。
北京近郊の長城は二重に築かれています。北京近郊の長城 は、石やレンガで作られた重厚なもので、敵監視台、狼煙台などが均等に分布しており、芸術性も高いです。
なぜ万里の長城は築かれたのでしょうか? 造られた目的は何だったのでしょうか?
外敵の侵入を防ぎ、またシルクロード貿易を守るために築かれたのです。
どのようにして築かれたのでしょうか?
雄大な万里の長城は知恵と汗と涙の結晶です。家族と離れ離れになったものや多くの死者の功績のもとに築かれています。軍人、農民、謀反人を労働者とし、石、土、砂、レンガなどが材料で、人手、ロープ、カートを使い材料を運搬したと言われています。 
さて、ここまでは定説です。
最近の調査によると、北方移民族の侵入の防御ではなく、建築された位置や構造から、軍事目的ではなく、交易や監視、課税が目的だったのでは?と言う説が出てきています。その結果、壁は連続した構造物で、もっとも保存状態の良い場所では高さが1メートル、幅は約10メートルだと明らかになりました。
高さは比較的低く、街道近くに築かれており、軍事的な機能はほとんど果たしていなかった考えられます。北線の長城は 「要塞化された国境ではなかった」という説も出てきました。これは人々や家畜の移動を監視しコントロールするために築かれたものであり、その目的の多くは交易など人々の移動に対して課税を行うためだった?
明の時代に建造されたレンガ造りの強固な城壁のイメージが強いですが、多くの時代ではそこまで強固なものでもなく、もっと平和的な利用がされていたのかもしれません。本当は何のために作られたのか?これだけ大きい建造物!
ここが7不思議の所以ではないでしょうか?