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コロッセオ(ローマ)

暑さが日ごとに加わってきている今日この頃です。株式会社エマール広報担当MADAMHです。
皆さんいかがお過ごしでしょうか?新世界の7不思議シリーズ、今回はローマの円形闘技場コロッセオについてお伝えします。ローマは一日にして成らず、すべての道はローマに通ず、永遠の都ローマと数々のフレーズがあり、何度も訪れた事があるイタリアの首都ローマですが、何度訪れても特別な思いにさせてくれる不思議な街です。
コロッセオは、イタリア語でColosseo。 かつては5万人を収容した古代ローマの円形闘技場です。皇帝ネロの巨像(コロッスス)が側にあったため、コロッセオと呼ばれるようになったとも言われています。ウェスパシアヌス帝の時代に建設が始まりArt Netnewsによると、建設は紀元72年に始まって完成までに8年近くかかり、450年以上にわたって世界最大の円形闘技場だったと言われています。長径188m、短径156m、外周壁の高さ49mの規模を誇り、その巨大さはローマの力と不滅の象徴でした。東京ドーム0.51個分で現在のパナソニックスタジアムと同等の大きさです。今はその面影もありませんが、残忍な目的がありました。この目的とは、“殺し合い”“処刑場” です。殺し合いが行われていた娯楽としての闘技場コロッセオは、多くの剣闘士たちが猛獣と戦い、市民を喜ばせるような娯楽施設として建てられました。これを建設したティトゥス帝の市民に対する施策 “パンとサーカス” のうちの “サーカス(娯楽)” の一環で建てられました。ティトゥス帝は、市民に娯楽を提供することで、人気を取るために行ったと考えられます。ここで催された娯楽としては、“殺し合い”という名の競技があり、出場していたのは人や猛獣です。競技に出場する剣闘士は、奴隷や戦争で捕虜になった人などが多かったそうです。その中の一部に、女性や自分から腕試しとして志願して、剣闘士になった人など様々な人がいました。剣闘士として出場するまでは訓練もあったそうで相当酷なものだったと言われています。罪人の処刑場としても利用されてきました。昔は、ローマ以外でも処刑が娯楽とされた時代があり、日本を含む世界各国にもそのような風習があったと言われています。正式名称は “フラウィウス円型闘技” ですが、実は“円形”ではなく正確には “楕円形” でした。どのような構造を持ってして、この巨大な建物を支えていたのでしょうか?3層の柱の構成は、1番下の層は ドーリス式の柱、真ん中の層は イオニア式の柱、1番上の層は コリント式の柱です。1980年に世界遺産に登録されました。周辺にあるフォロ・ロマーノやカラカラ浴場、コンスタンティヌス凱旋門など古代ローマ時代の建造物とあわせて、「ローマ歴史地区、教皇領とサン・パオロ・フォーリ・レ・ムーラ大聖堂」として登録されています。ローマ帝国がキリスト教を国教としたことで、剣闘士競技などは禁止されたはずでしたが、実際は古代末期(3~7世紀)くらいまでは競技場として使われていたのではないかともいわれています。
18世紀に、教皇ベネディクトゥス14世によって保存を命じられ、現在の姿に至ります。外周は半分ほどしか残っていません。円筒形という安定した形状のおかげか、地震でも壊れることがありませんでした。ローマン・コンクリートという火山灰を使用したコンクリートが用いられていますが、中世には建材として流用されていたそうです。天井はありませんが、そこに日除け布を張る造りになっていました。特に、皇帝の席には直射日光が当たらないようになっていたそうです。席は、皇帝・議員・騎士・市民に分けられていました。こんな写真を見ると、古代へ思いを馳せるには十分すぎる建造物です。
ローマの顔とも言うべきコロッセオ。何回もローマに行く度に見学スポットとして行っていましたから、その偉大な競技場の外面をつくる石に穴が開いている事にすぐに気がつきます。あばたとも言えるでしょう。どうしてだかご存知ですか?その後に石の中に構造的な補強材として使われていた鉄材を取り出したからです。鉄は貴重な材料です。日本でも戦時中に鉄の供出を強要されました。歴史とはこんなものです。昔のコロッセオは表面を大理石で覆われていて、とても豪華な建物だったのです。あの穴は大理石を止めていたボルトの穴です。サン・ピエトロ大聖堂を建設するときにコロッセオの大理石を剥がして持っていったので、現在の醜い姿になっています。大建造物の製造過程の歴史とは皮肉なものですね。